はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

高樹のぶ子の「遠光の樹」を読みました。

 
名前だけ知っていた作家の高樹のぶ子さんは山口県出身。一緒だぁ~!知らなかった(~_~;)
この作品は谷崎潤一郎賞の受賞作だそうです。
本の帯には「結晶のような透明な恋の物語」とありました。
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イメージ 1石川県白山市の鶴来が舞台。
最後の刀工という存在の父親と生活しているのが
離婚して娘を一人連れて戻ってきたひとり娘 千桐(ちぎり)。
そこへ25年前に刀工である父親をドキュメンタリーで追った
会社のアシスタントディレクターであった郷(ごう)が訪ねてきた。
郷は今では自分が社長である制作会社をやっていて、
金沢取材の帰りだった。
ふと想いだしたその刀工と高校生の娘、そして 古い杉の木。
おぼろげな記憶をたどるように、その杉の木の存在を確かめたい
という理由をこじつけながら 千桐(ちぎり)のもとにたどりついた。 
 
千桐との再会で、自分が忘れられていないことに喜びつつもそれを素直にださないで
ふたりの間に漂う気心が知れた空気に心を躍らせる郷。
昔の恩返しというような強引さで現在の金銭的窮状のサポートを申し出るのだった。
千桐は、そういうことなら郷と逢える、逢わなければならないという理由になる。 
これは妻のいる男への苦しい恋ではない、ただ金銭的な支えに対するお礼のような関係なのだと
郷への気持ちを正視しないまま ただ「郷が逢いに来る日」を求めるそぶりもみせずに待ちこがれる。
郷は郷でこの歳で恋なんておもいもよらず、千桐にとってただ借金があるから許す体の関係なのか
それを超えた感情をみることはできないのかと自分からも強く求められないでいた。
相手をおもえばこそ素直にいえず、裏腹な態度をとることで 相手を不安にさせ距離を埋められない。
東京・赤坂と鶴来の距離を、電話で何気ない話しをしつつ 何カ月か間をおきながら逢瀬を続ける。 
 
やがてふたりは、お互い相手がいなくなった状態に他では埋められないどうしようもない欠落感
のある関係であると認識する。
欠けたものの存在感を感じさせることのできる存在。
だから、悲しみを伴うものなのだ。それが恋愛なんだと・・・郷はいった。
二人の身体の左側を下にして、千桐の後ろから郷が包み込むようにつながる姿を
千桐のイニシャルのCに郷のGが重なって、耳のようなかたちになるというように戯れるふたり。
千桐の父親の介護と郷の忙しい仕事の合間をみつけては愛しあっていた。
 
しかし、郷はそれまでの不摂生からひどく体調を崩しはじめる。
癌の告知をうけ手術をうながされるも、
郷は千桐と男と女としての関係を続けるためにそれを拒否していた。
妻や子どもから冷たくされつつも手術は受けず、治療の間は千桐には何も知らせず 
最後までただ男として千桐に向き合あおうとした郷。
最後の逢瀬といいつつ過ごし、ふたりは北陸の駅で別れた。
郷が「自分が死んだら、あなたにだけにわかるように教えるから。」といったように、
それを知った千桐。その方法も想像できないでいたことだった。
そしてまた千桐にも不吉な病魔の影が忍び寄っていた。
 
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あぁ~、何をどこまで書くやら。いつも悩むところ。
これは映画化もされたそうですが、映像化するにはとてもエッチな内容が多くて
小説とは違うのかしらとおもったりもしました。
 
ほとんど家には帰らない生活とはいえ妻帯者である郷にあまり踏みこみもせず、
大きな期待もしないように介護や子育てをして過ごす千桐は健気でした。
郷も手術を受けてもただ少し命をながらえるだけで千桐を抱けないなら意味がないといった。
 
ひとりになった千桐は、自分の心と身体の郷という存在が欠落したという状態になって
アルツハイマーという病魔におそわれつつもその欠落感だけに没頭するだけになってしまう。
熱く女としての瞬間を過ごしたゆえの恍惚といった母の姿に
対照的なありきたりのような結婚生活を過ごす千桐のひとり娘は、どうおもったのだろう。
 
 
死んだことを知らせる方法もあるのかと それだけの郷の千桐へのおもいやりを感じました。
死んだらふたりで逢おうと約束した杉の木の場所に座る千桐はせつないです。
 
奥さんは介護だけしたのかな・・・なんてことも思ったりして(~_~;)