はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

小池真理子の「浪漫的恋愛」を読みました。

 
主人公の千津の母は許されない恋の最中、イメージ 1
幼い息子(千津の弟)を交通事故で亡くしてしまい
我を失い自宅で首をくくって死んだ。
封印した恋と息子への負い目などから
徐々に精神的に壊れていく母を支え、
女としての恋に走った気持ちを吐露する
壊れた母を支えて過ごした思春期だった。
自宅の物置の梁にぶら下がった母の最後の姿は
ずっと心の底に消えないままになっている。
 
大人になった千津は子どもはできないが優しい、
「やぎのような」夫と静かな夫婦生活を送っていた。
 
 
編集者の千津は「月狂ひ」という悲恋小説の作者の息子である柊介と出逢ってしまい、
やはり自分には母と同じ血が流れているのだ・・・という思いがわいてくる。
千津はずっと母の呪縛に捉えられおそれていたのだった。
 
 
千津は母が恋に落ちたであろう瞬間を知っていた。
深夜の救急治療のあと、青白い満月の明りに包まれて母と先生は佇んでいたのだ。
不義を続ける自分を恐れながらも溺れていく母。
母が亡くなった晩も秋の黄色い丸い月がでていた。
 
柊介の父の作品「月狂ひ」も
他に女性の存在のある長期家を留守にする夫の厳粛なる妻とその友人との悲恋。
夫が帰宅することを機にふたりして月夜に庭の沙羅の木で首をくくり心中をするという内容。
そのふたりの悲恋も通夜に参列した帰り満月の明りの下をふたりで歩いたときからだった・・・。
 
柊介と出逢った時何かを感じたけれど 心の中では否定していた。
お相手の柊介は49歳、千津46歳。この歳になってまさか。
でも、「月狂ひ」をアンソロジーに収録するための打ち合わせの夜 
二人で月明りの下を歩きながら満月の光を浴び、
やはり運命のようなものがはじまってしまったと自覚していた。
 
恋は狂気に似ている
狂気のような忘我い
幾つになっても人は恋をする。恋は若者だけの特権ではない。
年齢に関係なく人は異性を求め、ときめき、愛し、溺れる。 
 
 
自分に流れる母の血を感じながら、同じ道をたどってはいけないと苦悩する千津。
突然「一年間逢わずにいましょう。」と柊介に告げ、納得しない柊介と苦しみつつ距離をおく。
 
 
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その一年後の約束の日・・・そこから 涙はとまらなくて。
千津の気持ちになって 一緒に街をさまよったり お酒を飲んだりした気分。
最後の救いがあってこそ、これからも彼女は生きていけるんだとこれが大人の選択なのかと
しばらくそればかりに心がうばれていました。
 
あらゆる場面で月の存在を感じる小説で。
それも秋の満月・・・昨夜の月明りも強かったですね。
11月18日(月)もまさに秋の満月です。
月の光は気をつけて浴びないと「月狂ひ」のはじまりとなってしまいそう・・・。
 
 小池真理子さんの作品。500ページに近い長編でした。
読み始めて、やっぱりわたしは小池真理子さんの作品が好きだなぁ・・・とおもいました。