はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

瀬戸内晴美の「花芯」を読みました。

 
以前の記事で、ハルさんに瀬戸内晴美さんの作品を・・・とお薦めいただき、
小池真理子さんの「蜜月」を読み終えたらと この作品を準備していました。
途中メガネ紛失というアクシデントで時間がかかりましたが笑) 
本日読了しました。
 
イメージ 1
 
わたしの知っている瀬戸内寂聴さんは
テレビでは地震の被災地なのでみんなを勇気づける姿だとか、職場にあった日めくりカレンダーでの
女性としてひととしてのこころの導き手というイメージ。
そして、出家前の人生についての漠然としたはなし。
 
そして読み始めたわたしは、すぐに今の寂聴さんを
イメージすることはなくなって、
瀬戸内晴美さんの作品に没頭していた。
30代の頃の作品で「子宮作家」と揶揄されしばらく文壇から干されていたとのこと・・・
その時代だったがゆえなのか。
 
 
 
内容は女性としてのこころの葛藤や心とは別の女性としての業というべきからだの変化(成長?)まで
つぶさに、でも、品のある表現であらわされているとおもった。
男性の思い込みではなくすべて女性目線で表現されていて、
出産を経験していないと感じられないようなことまで・・・
また産後の医師によるひとこと 「ひと針大目に縫っておきましたから。」についても、
こんなこと公にしなくたってと女性はおもっただろう。
もしかしたらわたしがまだ自覚していない女性としてのことまで表現されているようだった。
 
誰にも話せないような、
女性ならいちど通ったような幼き頃からの感情や経験をあらわしてしまっていることが
それを男性に読まれちゃうってことが、その時代の女性には肯定しがたかったのでしょう。
「子宮」ってことばがそんなに気にならなかったのは、
今では学校の教科書で小学生の男女が習う言葉だからかも知れない。
 
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お嬢様育ちの園子は「嫌いじゃないけれど心を惹かれない許婚との結婚」をうけいれるつもりでいた。
でもそれとは別に処女の手前まで経験しつくすようなところは、奔放な現代っ子のようだ。
結婚した夫と何となく幸せな日々を過ごし、子供をもうける。
夫の職場の同僚に一目で惹かれ、心うばわれる。
相手ともその心は通じお互い惹かれているとわかりつつ何もなく過ごし、
ただひたすら想いを募らす・・・それを夫に伝えてしまう。
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処女だとか貞女だとか、
結婚前に男性と最後までいっていなければ処女として嫁にいったといえるのか。
夫以外の男性に心を奪われてしまったら 体の関係はなくても 不貞だといわれるのか。
そういうことに園子は反発のようなものがあったのかもしれない。
今では「どこからが浮気と考えますか?」なんてアンケートがあってみなそれぞれの解釈があるけれど。
 
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そしてその相手と、いちど 体の関係になった途端それは色あせて、恋人ではなく情人になる。
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好きなひとを手にいれたら冷めてしまい、次を求めるのとは違う。
そのあとの苦しい人間関係も凄いけれど
ある男性に出逢い「かんぺきな・・・しょうふ・・・」といわれてからが衝撃だった。
貞淑も愛僧も自分のあるべき姿ではなく、愛欲のひとなのだと自覚したというかふっきれたのか。
どうきれいごとのように繕ったとしても体が反応してしまう、ってことを肯定して悪びれず生きる。
それからの生活を「ぬるま湯に浸ったようなけだるい安息があった」とある。
 
 
でも死ぬ時には、いちどは子供を宿し出産をした母としての子宮でもあった自分のそれが
その後はひたすら女として体の奥に存在しつづけたことについて
「私が死んで焼かれたあと、白いかぼそい骨のかげに、私の子宮だけがぷすぷすと悪臭を放ち、
焼けのこるのではあるまいかとおそれている」とある。
おもいのままに女の業に生きたことを悲しくおもう部分もあらわしている。
 
 
 
これが、30代のときの作品かぁ・・・。
また別の作品も読んでいってみます♪