はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

部埼灯台

 
日曜日、行ってきました 部埼灯台(へさきとうだい)♪イメージ 1
想像していたルートとナビのルートとは違ったけれど 無事着きまして。
灯台したの海岸線というのが 
おもったより道は広かったけれど やっぱり普通はいかないところ。
女性ひとりで それも夕方や夜なんて無理とわかりました(笑)
 
真昼間の灯台のある高台にあがる入口・・・
アスファルトから 石の階段になります。
 
ひとりも怖いけれど、知らない人がいても怖い(笑)
イメージ 2
歩くことを覚悟して ヒールのないサンダルていったけれど
虫除けスプレーは思いつかなかった(~_~;)
 
崩れそうな階段をあがっていくと 右に曲がってあがるようになっている。
それから 行く手が二手にわかれたけれど 
大きな蜘蛛が巣をつくっているほうには進む勇気はなかった(笑)
そして みえた 白い建物、目の前に広がる 周防灘
 
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リチャート・ブラントン設計の灯台
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誰もいないベンチさえない・・・行き交う船を眺めながめる 静かな場所。
気持ちのいい風が吹いていました。
でも まだちょっと暑かった。
いまは 晴れてるだけ まだいいか。
 
階段をあがってくる途中に焚き火のあとのようなものが。
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天保年間に友人を殺めた為に出家してイメージ 9
供養の巡礼の途中でこの地を訪れた僧の清虚が、
流れの速い関門海峡付近の海上で多発する
座礁などの海難事故をなくそうとこの地に住みました。
托鉢して得たお布施から粗末な食事一食だけで生活しながら、
残りで薪を買い亡くなるまでの13年間ものあいだ
毎夜松明を焚き続け、沖を航行する船に向けて
現在の灯台の役目を果したそうです。
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みんなの為をおもって頑張ってくださったかたがいたのですね。
下の海には その大きな清虚像が海に向かってたっていました。
こちらからは 背中しかみえない像でした。
 
 
イメージ 10ここはまわりが砕石場となっていて
それを運ぶ船が出入りしているようでした。
こういう海もわたしは子供の頃よく眺めていたなぁ。
 
しばらく海を風を感じながら過ごして、
次は門司港に向かいました♪
お腹がすいていたんです(笑)