きっと・・・
わたしの父は外国航路の船に乗る仕事をしていました。
なので父とは生まれた時からずっと離れて生活していました。
数年に一回、2か月ほど休暇として船を降りて家に帰宅することもありましたが、
大人になってからは 年に一度も顔をみないこともありました。
それまで体調は悪かったようですが、病気と薄々気づいていながら アメリカの病院での治療を選び
ギリギリまで仕事を続けたようです。
9月の連休中で飛行機は満席状態の続く時期でしたが、どうにか無理をいって席をひとつ確保し
わたしは2歳未満の息子とふたりで父のもとへかけつけました。
父の勤務先の配慮で、すでに母は到着し不安な時間を過ごしていました。
わたしは飛行機の都合で3泊5日の滞在。
帰国しなければならなかった朝に、父はICUに運ばれ、
わたしが帰国を告げてその場を離れたのを最後にもう言葉を話せなくなったようです。
あとに残った母は、そのとき父は私と一緒に日本に帰ったのだとおもったそうです。
仕事で渡米が遅くなった兄達の到着を待って、延命装置をはずし、葬儀を終え、灰(アッシュ)になって
帰ってきました。
まるで高級紅茶のようにラッピングされ、息子の膝に乗るぐらいの木箱に入っていました。
葬儀の様子は、写真でみましたが それっきり・・・
今も父が船上での長い生活の間に作成した
ライトスタンドがわたしのそばにあります。
いつもわたしが座るシングルソファーの横に・・・
父が世界地図を使って、作ったものです。
いままでいった国や航路を父の船室の世界地図で説明して
もらったことをおもいだします。
わたしにとっては 今も船に乗って、
どこかで航海を続けているかのようです。
きっと、元気になって 忙しく仕事をしているんだろうな・・・
そうおもっています。
たくさんの時間をわたしにくれて、やさしくしてくれたことを感謝しています。