はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

いろいろあっても 前に進もう

やっとお休みになりました。
今週はもうへとへとの限界だったかも。
 
金曜日の朝は「今日でひといきつける」っておもいながら歩きました。
朝の室見川は美しかった。
対岸にはツツジが咲いているのがみえたので、帰りはゆっくりあちら側から帰ることを楽しみに職場に。
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以前よりは体力もついて 身体も丈夫になったのかとおもってましたが
とうとう また首のあたりにじんましんがでてしまいました。
いろんなことに疲れて拒否しているようです。
お客様からのクレームにも打たれ弱くなってきてます。
 
どうにか今週の仕事を終え、朝歩いた川の対岸に渡る橋のうえからの様子。
水の流れが気持ちいい。
近くにいかないとわからないときもあるけれど 川はいつも流れているって 励まされる。
立ち止まらないように 考えこまないように 言い聞かせながら 川の横を歩いてました。
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4月にはいって短大時代の友達からの夜遅くの連絡で 友達がなくなったことを知りました。
乳がんになっても乳房を切除して 元気になったはずのお友達。
わたしがすぐにおもったのが がんの再発で?
でも 違うらしい。
自殺らしいって。
わたしだけじゃない、友達の誰もが信じられないおもいで。
その話し自体を受け止められない。
わたしが最後に連絡をとったのは 昨年の秋。
たまたま出逢った友人からお父さんのことで大変らしいと聞いて。
わたしも辛いときだった。
みんないろいろあるよね、そういう時期なんだとあきらめてるって返事だった。
他の友達は今年になって電話で話しをしたけど 理由になるようなことは感じられなかったって。
 
友人のひとりの携帯に見知らぬ番号から何度か着信があって 誰かとおもってかけなおしをしたら
娘ちゃんで Cが亡くなったことを伝えられたらしい。
詳しいことはわからない。 
娘ちゃんが話してくれた内容しかわからない。
いつのことかもわからない。
いまは 子供二人はおばあちゃんと一緒に 以前とは違うところに住んでいるって。
再婚して新しい家庭を築いていたはずなのに  子供たちも新生活を喜んでいたのに 離婚していた。
 
それから娘ちゃんに連絡をとって 連休の間にみんなでお参りをさせてもらうことになった。
のこされた子どもたちの前でわんわん泣いてしまったらどうしよう。
どうして?なんて 年老いたお母さんや 中学生の娘ちゃんや 小学生の息子ちゃんに聞けない。
きっと詳しいことはわからないままだろう。
娘ちゃん、学校にはいっているようだ。
電話で連絡ができるようになるまで どれぐらいかかったのか。
亡くなった彼女は自分が大変なときは 連絡してこない子だった。
わたしや友達が傷ついていたときは 声をかけみんなで集まってくれて 「自分を大事に」といってくれた
一緒に泣きながら ボロボロになってるわたしの身体をずっとさすりながら 話しを聞いてくれた子だった。 
彼女の相談にのれなかったこと わたしだけじゃなく みんな悲しんでるとおもう。
大切にしていた子どもたちのことを置いていくほど憔悴していたのか。
わたしは疲れたら 他に楽しみをみつけようと目を背けて逃げてしまう。
わたしが まいってしまったら 子どもたちだって困るんだっておもって。
疲れたと嘆くこと、楽しく過ごすこと、わが子と笑いあうことに 罪悪感を感じてしまうようになってきた。
何度もうたた寝を繰り返し 疲れがとれない日が続いたけれど この連休で頑張って自分を持ち直すつもり。
ごめんっておもいながら。
実際 お参りさせてもらったら また落ち込んでしまうだろうけれど ずっとそういうわけにはいかないから。
 
桜の花びらは散ってしまったけれど 今度はツツジが綺麗に咲いている。 
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甘い蜜の香りに誘われて・・・近づていみる
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こんなところで ゴロンとなって日焼けなんてしたら 幸せだろうな~なんておもっていたら
上半身裸の真っ黒に日焼けした男性が 寝転がっていた。
自転車に乗る人のようだ。
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向こうにわたしの飯盛山もぴょこんとした姿をみせている。
5月になったら また山に登れそう。 春の山を楽しもう。
シロツメクサで娘たちの花輪をつくってあげたことをおもいだしたら、
亡くなった友達のこどもたちはお母さんはどんな気持ちで過ごしているのかと また考えてしまう。
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事実は受け入れるしかない。
どうしようもなくても 前に進んでいかないといけない。
わたしたちに何ができるか 一緒に泣いて みんなで話し合おう。
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