はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

どうにか帰宅したけれど


日曜の午後 息子が大分別府から戻りました。
同じ高校のバスケ部出身の同級生がいるのですが、
「JRが動いたら一緒にチケットを買って帰ろう」っといって誘ったら
その子のお父さんが下道を車で迎えに来てくれることになったのです
(息子たちは帰宅のときなど誰かしらに声をかけて少しでも安い回数券で帰ります)
高速道路が通行止めのため高速バスは走っていなかったし、JRはずっと運転見合わせ中でした
土曜の夜までは震度3の地震がたびたびおこっていたし、夜は雨が降るという予報。
息子の住む古いビルは1F駐車場の柱にひびがはいっていて夜の雨での土砂崩れなども不安で 
夜は避難所に行く予定でしたが 結局一緒に帰るそのお友達の家で過ごしていました。ホッ
結局その夜は雨も大したことはなく揺れもほとんどなかったということで 「帰らなくても」という感じだったようでけど。
日曜日は天気もよかったし。
イメージ 2
その友達の部屋は大学入学時に新築で紹介されていたマンションだったので揺れ方も大したことはなく 自分の家が特にすごく揺れるんだとわかったらしいです。(だってそこは家賃も高いし!)
仕事が休みとはいえ日曜早朝から車で迎えにいっていただいて そのままトンボ帰りで長時間の運転をしてくれたお友達のお父さんに本当に感謝しています。 
帰りの車にはもうひとり小倉方面の女の子も一緒に乗せて、福岡市内で別れたそうです。

帰宅した息子に話しを聞くと
一度目の熊本の地震のあと 東京方面の学生はすぐに関東に戻っていったとのこと。
きっと地震の恐ろしさを実感してるからだろうとおもいます。
近くの国の台湾や韓国の留学生たちもすぐに帰国したひとが多かったと。
韓国からの子たちは航空会社が700円で飛行機に乗せて帰ったらしいとか。
タイの留学生は政府が福岡方面のバスを出すのでどこどこに集まってという連絡が入り
どこの国からの子でもいいといわれ わかる語学でみなが翻訳してSNSなどで拡散したものの
やっぱりバスに限りがあり タイの子優先となってしまったようで 
息子もみんなに声をかけただけに「あれはちょっとかわいそうだった」といってました。
大分空港は離着陸できていたので 大阪出身のともだちには 一緒に大阪にくればいい!と
誘われていたとか。
息子の大学のホームページではまず水曜日までの休講が決まり 
避難所の場所の一覧の案内も 日本語と英語でありました。
でも実際 避難所にいったら4月から来たばかりの日本語がよくわからないひとや
英語さえたどたどしいひとは困るだろうにと聞くと
「僕たちの大学はすぐに言葉がわかる子がどんどん翻訳してSNSで流すんだよ」といってました。
2度目の大きな地震(本震)で震度6弱のあと タイ語の先生を助けにいっていたと聞いたのですが
この春の授業で帰国予定だったタイ語の先生のお母さまがはじめて日本に旅行でいらしていて
宿泊施設でその地震にあってしまい みんなで避難所にいってしまったらしく
連絡もとれないしどこの避難所にいるかわからないとのSOSで、探して再会の手伝いをしたらしい。

それから自室に戻っていたら カナダに留学中の先輩から連絡があって「いまどこにいるのか?」
と聞かれ「部屋でゲームしてます」とこたえると
「ばかやろう。死ぬぞ。すぐに避難しろ。」といわれたとか。
それで 避難所にいってみたけれど 若い僕らは毛布ももらえないし やっぱり優先順位がある。
1時間ほど座っていたけれど 自分の部屋のほうが快適だし大丈夫だとおもってもどったとか。
水も電気も問題なかったし、本当に大丈夫だとおもったんだと。
それで 住居の基礎になる柱がひび割れていたことを発見するのですけど(笑)

買い物だって UFOをいっぱい買ったといったのもそういうものしかすでにお店にはなかったと。
もともとがお金がなくて 家から宅配便で送ってくれていた食料を食べてしのいでいて痩せていて
宅配便が着く前は栄養失調なのか顔の肌があれて みんなに指摘されていたぐらいだとか(~_~;)
「現金を持っていなさい」といわれたから 家賃を払う予定のお金をもっていて
「食料を買っていい」といわれ 久しぶりにUFOや冷凍チャーハンを食べて
それはそれでいつもよりずっと快適だったんだそう。
わたしはそれでも 帰宅できなければ 「夜だけは避難所にいって」といってました。
家でお腹いっぱいにして 毛布や防寒のものを持っていってねと。
帰宅して また思いだしましたが  息子は自宅にいたときよりずっと食が細くなってます。
もともと貧乏生活してるので 胃が小さくなっているのです。
少ないお金を使う優先順位として 食は上のほうではないみたい。
辛い現実だけど、学生だからということもある。

留学生だって バスに乗って福岡にいってホテルに泊まっている子もいれば
もともと家賃の安い古い建物に住んでいたら 経済的な理由で知らない場所にはいけず避難所にいるこだっている。
母国ではお金持ちの子ばかりのようですが 国の経済格差もある。
いったん帰国したらなかなか戻ってこれない子は大学を卒業するためにも
本当の緊急となるまで残っているのでしょう。

福岡に戻るということに 息子が渋った理由がもうひとつ。
「大学は休みになったけど 明日はバイトがあるんだよね」といっていたこと
これについても 「避難所からバイトなんて!」とわたしはいったけれど
実際には お客さんはいて「社員さんだけで対応するから大丈夫だろうからいいよ」といわれたと。
地震のあとゴールデンウィークどんどん旅館やホテルにキャンセルが入っているらしくても
そのときはお客様はいたのだそう。
生活の支える収入のために働いているひとからしたら お客さんがいるかぎり避難所からでも通うものでしょう。今後は収入が減る可能性もあるし。
息子はよく湯布院の旅館などにいっていたらしいけれど
今の現地の状態では 海外からも国内関東などからもしばらくは観光客が減ってしまうでしょう。

息子の大学の発表では22日(金)まで休講が延期となりましたが 
25日(月)には授業もスタートするとのこと。
揺れもおさまりつつあり別府市内は今日から日常通り生活できるようになっているとのこと。
来週からのスタートは一時帰国あるいは国内で帰宅した生徒が戻る時間が必要と考えてとのこと。
そして地震や災害のない国出身の留学生にむけて もうみんな普段通りに生活できる状態ですとか
大学の耐震についての安全性の説明や 不安な生徒にはメンタルケアもするという案内までありました。
地震の影響を受けた図書館の整備にはまだ時間がかかるけれど それ以外は大丈夫なので
自分の住宅や避難所が不安なら大学構内にいてもいいとも。

ということで 息子は予定どおり明日には別府に戻るとおもいます。
話しを聞いて ただボーッと楽観的だったのではないとわかったので あとは息子のおもうように。
なのでわたしは 息子が持って帰るための食料をスーパーで買ってきました。
レトルト食品やパックのお米などいろんな食品がすでに品薄でした。
次に宅配便を送れるのはいつだろう?
今回はどれぐらい自分で持っていけるのだろう?
別府に残っていた学生はお腹を空かしていないかしら。
友だちに声をかけて みんなで分け合って食べるのだろうなぁ。
息子は早く大学が始まって欲しいといってました。
いまでも所属する学生NGOの後輩などと連絡をとりあって その活動の話しをしています。
母はそんな息子を やりたいように応援しないとね。 

イメージ 1

またしばしのお別れ~。
昨夜はわたしが 絵のモデルの仕事で夕食は 夫と妹の3人ででした。
今日は地元の友達に誘われて 
こちらの大学に遊びに(見学に)いっているようです。
明日帰ってしまうというのに 
今日も一緒に夕食は食べられなかも知れないなぁ・・・( ;∀;)