はのはのブログ 懐かしき日々

Yahoo!ブログでの2006年6月から2019年6月までの記憶

心配しすぎ?

いつの間にか16日になっていて 眠りに落ちていた 01:25 に地震警報がなった。
娘とふたりで壁につかまっていたら おもむろに揺れがはじまった。
夫は寝ぼけた感じでボーッと立っていたけど どんどん揺れがひどくなって。
「とーさん!」って娘が声をかけたけど「あー、揺れてる。」って へーこんな感じなんだ・・・みたいな。
そうするうちに 娘の近くにあったピアノのイスが倒れて、そのよこの大きな鏡まで倒れだした。
そばにいた夫に「とーさん!何してんの、抑えてよ」って娘がいっても
「え?あ・・・」なんて感じで 結局娘が鏡を支えた。

「こんな感じだったんだね。」なんていう夫だったけど
娘とわたしは「なんだか昨日の地震とは違う揺れだったね。」っていいあった。
それが 震度4。
わたしの実家の山口は震度3。息子がいる大分別府は震度6弱
それを確認して「うわぁー☆☆(息子)はどうしてるだろう」っていうと
「連絡してあげりぃ」って夫。
するよ、きみにいわれなくたって、昨日もそうだったんだから・・・(^-^;

息子にLINEで
・・・・・・・
揺れたよ~、大丈夫?
・・・・・・・
とおくると
・・・・・・・
ちょーやばい
・・・・・・・ 
って返事があった途端、電話をかけてきた。

「音楽を聴きながら寝ようとしてたら 本棚が倒れてきたんだよ。」
「えー!あの重い背の高いのが?でも ベッドの足元だよね。」
「そう、それは大丈夫だけど 全部出て倒れちゃったんだよ。」
「あー(引っ越しのとき)壁はコンクリだから止めなかったからだね。」
「うん。そうそう。」
「とりあえず本は外に出して本棚だけおこしたほうがいいね。」
「うん、そうするよ。なんか外がうるさい・・・」
「警報だったりするんじゃない?気をつけてね」
「うん。」

それで息子とは終わった
それから また揺れとテレビの警報と熊本のニュースを聞きながら横になっていると
04:05 の震度1でまた目が覚めて 4時半ぐらいにスマホの時刻を確認した記憶がある

朝6時過ぎに LINEの音がしたけど 目が開けられなくて
しばらくして あ!とおもい確認すると 息子からだった
・・・・・・・・・・・・
06:02 さっきまで避難所にいて、いま帰ってきたから、いまから寝ます(笑)
・・・・・・・・・・・・

びっくりしたけど いま返事したら寝てるのに可哀想かなともおもって考えて ちょっとして返事。
・・・・・・・・・・・・
06:40 そうだったの。大変だったね。4時半過ぎまでみんなで眠れず起きていたんだよ。
      とにかくおやすみ。 
・・・・・・・・・・・・
07:17 震源地がどんどんずれて、大分中央だったりしてるね。
      まだJRが運転見合わせだけど、復旧したらまず福岡に帰っておいで。
      道路が分断されて物流が滞るだろうし。
      大学の判断もあるだろうけど。
・・・・・・・・・・・
07:17 コンビニが開いているうちに食べ物買ってね。
・・・・・・・・・・・
07:18 お水もバスタブに貯めたり、買ったりして。
・・・・・・・・・・・
07:18 現金を財布に持っておきなさいね
・・・・・・・・・・・

送りだしたら 我慢できなくなって どんどん送信してしまった。音がしてるだろうなぁ。
そしたら とうとう返信がきた。起こしちゃった!(^-^;

・・・・・・・・・・・
07:19 福岡に戻ってこいって、帰ってこいってこと?
・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・
07:20 そのほうがよくない?
・・・・・・・・・・・
わたしは心配性だとはおもうけど 可能なら帰ったほうがいいとおもった。
大学が開校されてるなら残らないといけないけど 早く判断してほしいなあ。
息子も大学がどうなるか調べてみるって。
帰る手段があるなら。でも高速バスも運休してた。
ホームページが更新されるのを確認しながら JRも確認しながら。

息子としてはそれよりも自分の住む建物のほうが心配だっていって写真を送ってきた。
避難所の帰りに気づいたらしい。
イメージ 1

うわぁー、そういえば建物の一階半分は駐車場だったね。
別府の真ん中だから 建物はみんな斜面に建っていて、
息子の部屋は地面に接している部分の上の5階になる。
帰る方法がみつかるまで 友達の家にいくようにいった。
スマホとパソコンの充電は気をつけるように伝えて。
それから 10時過ぎに実家の母から電話があった。
☆☆(息子)が電話にでないけど大丈夫かな?って。
心配になってかけたようだ。
それでわたしもLINEしてみたけど 既読にならない。
ならと 電話をかけたけど とらない。
これってもしや電波障害かしら? そしたら どうなっちゃうの?
パニックになって 仕事中の夫にまでメールしてしまった。
でもすぐにLINEがきた。ホッ( ;∀;)

寝てしまっていたって、ごめんって(^-^;
近くの友達は避難所にいってるらしいから 自分もあとでそっちにいくつもりだって。
「避難所では春から来たばかりの留学生たちがいるだろうから 
 声をかけてあげないとね。」っていうと
「わかってる。昨日の夜中も日本語が全然わからないタイ語の先生を助けにいってたんだよ。
 めっちゃテンション高くて 逆にびっくりしたけどね。」って。
そうだろうね・・・大学構内じゃないから案内もないだろうし。
大学のホームページで英語の説明があっても 実際にはね。

避難所には雨になるっていう夜21時頃に移動するつもりだって。
それまで ごはん食べて片づけして準備しておこうかなーって。
え?夜? 
家はいま快適だし、いまは大丈夫な気がするからって。
あ・・・のんびりしてる。早めに行動してっていったのに。夜、雨の中バイクで走るつもりだな( ;∀;)

食べ物は買ったのね・・・うん、UFOめっちゃ買った(笑)
は? お湯の確保がいるよ。 飴とかチョコとかも買ったほうがいいよ。
・・・うん、断水は起きていないし、停電もないからお湯は問題なし。お菓子類かってなかった。
なんか 遠足気分なようだ(^-^;
これからの準備なんだよ。
避難所でUFOとか堂々と食べられないとおもうよ。臭いし。カロリーメイトとかパンとかも買いなさい。
・・・匂いは仕方ないよ。ほーいい。

優しいししっかりしてるようだけど、おバカで優しいだけなんだね、やっぱり。わたしの息子だ(~_~;)
その後にまた買い物にいったらしく「なにもない」って。
そうでしょうね・・・だから早めにいってあげたのに。 で、冷凍チャーハン買ったらしい(~_~;)
とりあえず部屋でお腹いっぱい食べておきなさいといっといた(笑)

帰るってことにも まだひっかかってるようだった。
大学は水曜日まで休みになったんだから 帰る手段さえあれば帰る方向にしといてっていうと
「でも、バイトがあるんだよね。」って。 
は?避難所からバイトにいくつもり?あり得ないでしょ。
すぐに電話で確認しなさい!
そのバイトは旅館やホテルで観光客のお客さんに声をかけて写真を撮るバイト。
こんな地震のときに 誰がそんな気になる?声かけたら虐キレされるよ!
で、そのあと 「とりあえずバイトは休んだ」って。・・・そうしてください(~_~;)
大分空港は使えてるし車で福岡に着いたひとの話しも聞いているし、テレビはないから
あまり本人は心配していなかったみたい。

避難所は小学校で、そこにいったら 若いし手伝いもいっぱいしなくちゃいけないだろうと
そういうことは率先してするほうだから 帰ってこいっていうのはダメなのかなっておもったけど・・・
夜になって また連絡がきた。
同じ高校のバスケ部仲間の同級生の親が明日迎えにきてくれるから 一緒に乗せてもらって帰るって。
そこのお宅はよく家族で別府に様子をみにいってるところ。
こっちでもよくお泊りさせえていただいていたけど。
明日の昼前には迎えにくるって話しだそうで それまではお友達の部屋に一緒にいることにしたって。
よかった。とりあえず少し安心した。
今夜の雨のあと、地震も大分の震源もまだまだあるし、明日の状況はまだ不安だけど
無事に帰ってきて欲しい。
 
わたしが心配し過ぎなのかもしれないけど、それで息子の命が助かるならいいの。
海外ボランティアもしていいけど、帰れないなら避難所のボランティアもしていいけど、
まずは自分の安全を確保して欲しいと願う。